~ 悪いことなんかしていない ~



昼休みを終えて日向と若島津が教室に戻ると、周りが妙に騒がしかった。
何があったのかと近くにいたクラスメイトを掴まえて若島津が尋ねると、その生徒は一瞬口ごもって周囲を見回す。それから声のトーンを極力落としてひそひそと話し出すが、秘密を明かす人間特有の興奮は隠せないようだった。

「見られたんだって。十和田と有島」
「見られた?」
「男同士で・・・その、なんつーの。・・・ヤッてるとこ。いや、途中だか未遂だったからしいけどな。だけど、学校でヤるなんて馬鹿だろ。馬鹿でしかないだろ」
「・・・マジ?学校の中で?」
「屋上に出る階段の踊り場だって。・・・あいつら、さっき呼び出し喰らってた。・・・ほんと馬鹿だよな。どうせなら空き教室で鍵でも閉めときゃ良かったのに」

そう口にしてから、笑っていいのか真面目な顔をしていいのか分からない、といった顔をする。結局はどっちつかずの表情を浮かべて、それから忌々し気に唇を歪めた。

「確かに前からそれらしい噂はあったけどさ・・・。だけど男と男だぜ。ホモだよ。ありえねえよ」
「へえ・・・」
「授業始めるのは少し遅れるかもな。うちのクラスと・・・有島のクラスも」
「そうだな」

若島津がそれ以上の興味は無いといった態度を見せると、クラスメイトは同じことを噂しているらしい他のグループの方へと離れていった。


残された形になった若島津は、隣に黙って立つ日向のことを振り返ることができない。振り向いて顔を見せたならば、みっともなく動揺している自分を悟られるのではないか      、そう思った。
だが日向の右手が若島津の左手をそっと掬い、くすぐるように指を絡められて思わず顔を向ける。

「揺らぐな」

若島津にしか聞こえないほどの小さな声で、だがはっきりと日向が言葉にする。うろたえるな、こんなことで揺らぐんじゃねえ      と、その強い光を湛えた瞳で叱咤してくる。

日向の行動と視線に目を瞠った若島津は、いつのまにか溜めていた息を静かに吐いた。そうすると身体からも力が抜け、却って強張っていたのだということが自分でも知れた。

思わず笑みを零す。やはり日向はすごい。たった一言で、自分をどうとでもできる。天国から地獄でも。またその逆でも。

「大丈夫。・・・揺らいだりしないよ」

落ち着いた声音を出して答えれば、日向の眉間の皺も解けた。眦の上がったキツイ目が、本当か、とでも問うように面白そうに煌めく。

(まったく。あんたは     

そうだ。揺らいだりなんかしない      若島津は日向の方から繋いできた手を強く握り返した。

ようやく手に入れたのだ。男である自分が同じ男である日向を好きになり、性愛の対象にと望んだ。それなりに紆余曲折はあったけれど、最終的には日向は受け入れてくれた。
こんな騒ぎがあったくらいで諦められるのなら、元より想いを告げたりはしなかった。


ずっと日向のことが好きだったのだ、と若島津は思う。おそらくは子供の頃からずっと。

もちろん小学生の時に彼に対して持っていた好意は、今のような情欲を伴うものではなかった。
ただまっすぐで分かり易い性格と、意外にも情に厚く、かつ努力できる人間であるという点が好ましかった。経済的にも精神的にも家族を支えている姿に触れて、驚きもしたし尊敬もした。
たまに天然というのか、普通とは一風変わった間の抜け方をしているところも、傍で見ていて楽しかった。

それから時として、本当に稀なことではあったが、親しい人間にだけほろりと崩れるように露呈される彼の弱さ      そういった彼の気質の諸々が、気が付いた時には若島津を虜にしていた。
日向だって完全な人間ではないのに、いやむしろ完全な人間ではなかったからこそ、惹かれた。どれだけ近くに居続けても、直して欲しいところといえばふらりと無断で消えてしまうところくらいで、他には今でも思いつかない。

よほど相性がいいのだろうということは、日向自身はどうか知らないが、若島津と若島津家の人間、更にはその周りも認めるところだった。



日向が東邦学園に進学を決めた時、ごく自然に若島津も東邦学園に進むことを決めた。金銭的に家に余裕があったのも幸いしたが、何よりも日向がこの先どこまで昇っていくのか、どれくらい高みへ行けるのかを見届けたかった。それに自分もやるからには天辺を目指すつもりでないと意味がないと思っていた。
だから環境的に申し分のない東邦に進んだのだ。決してその当時は、愛だの恋だのといった、そういった感情で日向の近くにいることを選んだのではなかった。

だが日向と特別な関係を結ぶようになった今、完全にそうだったかと聞かれると、若島津はそれもまた違うような気がしている。

意識しないところで、きっと自分は友人という枠を超えて日向に魅せられていた。良いも悪いも無いくらいに、丸ごと日向が欲しかったのだ。
サッカーと家族のことしか頭になく、いつも泥だらけで傷だらけの子供のことを、同じ年齢の子供でしかなかった自分が自覚のないままに大事なものとして心に刻んだ。

出会えてよかった、と若島津は思う。自分は幸運だったのだと。
人は出会った人間としか恋愛できない。出会わなければ好きになりようがない。好きにならなければ、手に入れることも無かった。

若島津は人生の早いうちに宝を見つけることが出来た。
宝は宝であり、自分と同性の男であろうが、育つにつれて屈強な体躯になっていようが、他人から見たら凶暴なほどにキツイ眼差しをしていようが、何ら関係ない。
若島津にとって日向は、人生を賭けてでも自分のものにしなければならない存在だった。









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